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過去をみるということ(幼児期から小学生まで編)

あすか

ライターのあすかです。 日々感じる生きづらさを、生きやすさに変えていけたらと思い、執筆しています。

こんにちは。ライターのあすかです。

今日は私の過去を振り返ろうと思います。

何故過去を振り返ろうと思ったのか?
それは、過去を「話す」ことが過去のしがらみを手「放す」ことになると思ったからです。

なぜ過去のしがらみを手放すことが大事なのか?

それは、今感じている生きづらさが過去のしがらみが起因だと思ったからです。

少し想像してみて欲しい。
赤ちゃんや小さな子供は、今を生きることに命を輝かせているように見えませんか?
「今、自分は何を感じているか」「何をしたいか」
そう魂のままに生きている。

でも、いつからか魂の声は聞こえなくなった。

傷を覚えた心の声と、批評家の頭の声だけがこだまする。

「なんでこんな簡単なこともできないの?」
「ちゃんとやらなきゃ、人に認めてもらえない」
「こんな自分は誰にも好かれない」
「どうせ私は誰にも必要とされない」
「自分はダメ人間で何にもなれない、何もできない」

そんな内なる声が大きくなるにつれて、周囲の声が聞こえなくなりました。(アンチノイズキャンセリング)
内なる声を確証付ける負の事象だけが受け入れられ、反対する正の事象は淘汰されました。

そうして、自分を嫌いになって、自分さえ自分を必要としなくなった。

しかし、私は今を取り戻すために、しがらみに向き合って本当の自分を見つめ直そうと思っています。
(落ち切るほどのエネルギーも再帰するほどのエネルギーもなく、何もできずに、自分を見ることしかできなくなっていた。)

※これは、自身でやる場合心身ともに体調が良い時だけやってほしい。特にメンタルが悪いときは絶対やらない方がいい。

「深淵をのぞきこむとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」― ニーチェ『善悪の彼岸

という言葉があるように、

自分の深淵を覗く作業、つまり自己分析や過去の掘り起こしも、やり方を間違えると、自分を傷つける結果にもなりうる。

できれば、深淵を克服した経験がある人や、深淵から戻る術を知っている人と一緒に進められれば、いい結果が望めるかもしれない。

過去に意味を与え直す(リフレーミング)

アドラー心理学の考え方ですが、「人は過去の出来事に意味をつけ直すことができる」とされています。

例:
「失敗ばかりだった」 → 「その時の私は、ただ成長途中だっただけ」
「誰にも必要とされなかった」 → 「自分自身が必要とされたいと願っていた、それだけでも愛があった」

→事実より、「その出来事をどう意味づけるか」を変えることが、自由への鍵になります


幼稚園で印象的だったこと

私の幼稚園時代の記憶は、どこか曖昧で、でも断片的に強く残っているシーンがありました。

両親は共働きでとても忙しくて、私は朝早く、まだ空が暗い時間から園に預けられていました。学童保育のような場所にも通っていたから、家で過ごした記憶はほとんどなかったです。

「家にいた」という感覚が、あまりないのです。

幼稚園は、覚えているだけで4つも転園しています。せっかく仲良くなった幼なじみの今日香ちゃんとも、転園で離れ離れになった。小さな私は、何がなんだかよくわからないまま、いつも新しい場所に馴染もうと頑張っていたと思います。

そして、私にとって印象的だったのはお弁当。

母が作ってくれたお弁当は、どこか茶色くて、栄養は偏っていたと思う。キャラ弁やカラフルなおかずを持ってくる子たちが羨ましかった。

「見せて」と言われるのがイヤだった。見せたくなかった。恥ずかしかった。比べられるのが怖かった。

でも、当時の私はその気持ちをうまく言葉にできなかったし、「恥ずかしいと思うこと」自体がいけないことのように感じていた。

そのときの私の感情

正直、当時の感情を今はっきりと思い出せるわけじゃない。

けれども、記憶が残っているということは、きっと何か強い気持ちがそこにあったんだと思う。

たぶん私は――

  • どこにも「居場所」がないような感覚
  • 誰にも「ちゃんと見てもらえない」寂しさ
  • 「どうして私だけ違うんだろう」という小さな違和感

そんな気持ちを、言葉にできずに抱えていんだと思う。

あの頃の私が抱えた思い込み

この頃から、私はこう考えるようになっていた気がする:

  • 「私は特別に大切にされていないんだ」
  • 「羨ましがるようなものは、自分には与えられない」
  • 「比べられると、自分は劣っていると思われる」
  • 「我慢するのが当たり前。寂しさを感じてはいけない」

それが今の私にどうつながっている?

今の私は、どこかで「人と比べられること」に敏感になってしまう。

自分の感情や欲求を“後回しにするクセ”が抜けない。

「見せたくない」「恥ずかしい」「羨ましい」といった素直な気持ちを、今もどこかで封じてしまっているときがある。

誰かの前で素直になるのがこわい。

なぜなら、「素直な私」が受け入れられなかった過去を、私の中の“幼い私”がちゃんと覚えているからだ。

小学生の頃の私を思い出す

小学生になっても、私はやっぱり学童保育に預けられていた。

学校が終わってからも、家にまっすぐ帰るのは好きじゃなかった。

家に帰れば、母親が父親や職場、親戚の愚痴を延々と話してくる。

それは「聞いてね」じゃなくて、「ぶつけられる」感じだった。

私はまだ小学生で、ただ話を聞くだけで精一杯だったのに、

まるで小さなカウンセラーのような役割を背負わされていた。

自分の感情なんて、出している余裕はなかった。

だから私は、放課後は友だちの家によく逃げていた。

近所の1つ下のしーちゃんとは、よく遊んだ。

彼女といるときだけは、何も考えずに「ただの私」でいられた。

本当に、それが救いだった。

 学校では「いい子の仮面」

学校では、私は“いい子”だった。

みんなにとっての「友だちの友だち」でいられるように、

嫌われないように、優しい振る舞いをしていたと思う。

でも、それは本当の私ではなかった。

どこかで演じていたし、内心は「誰か本当の私を見つけて」と願っていた気がする。

私は手のかからない子だった。

母や父にとって“問題児”の兄がいたから、

私は「いい子でいなければ愛されない」と思い込んでいた。

そうでなければ、誰にも構ってもらえなかったから。

愛されたかった、でも届かなかった願い

母に学校の行事に来てほしいって、言ったことがある。

でも「仕事があるから無理」と言われた。

その理由が本当かどうかなんて、もう関係なかった。

ただ、「私の願いは後回しにされるんだ」と、子どもながらに感じていた。

みんなが持っている携帯を、私も欲しいと父親に言って持たせてもらった。

でも、しばらくして勝手に解約された。

「お金がかかるから」と言われたけど、

だったらなんで最初に持たせたの?って、聞けなかった。

友だちとの連絡が取りにくくて、どこかひとり取り残されたような気分だった。

誕生日は、祝われるどころか「悪魔の日」

父からは、誕生日を祝ってもらったことがなかった。

それどころか、「お前の誕生日は悪魔の日」って言われた。

冗談のつもりだったのかもしれない。

でも私は、笑えなかったし、忘れられない。

家族旅行もなかった。

クリスマスもプレゼントはない。

そのくせ、父はタバコや宝くじにはお金を使っていた。

母の宗教と、信仰を強いられる日々

小学生の私は、母の信じる宗教団体に入信させられた。

もちろん、私の意志は聞かれなかった。

集まりや行事にも強制的に参加させられていた。

嫌だと言えば「信心が足りない」と責められた。

私のせいにされた。

母の中で、私の存在は“信仰のための子ども”だったのかもしれない。

私が「見てほしい」「感じてほしい」と思っても、

そこにあったのは“教義”と“親の都合”だけだった。

そのときの私が感じていたこと

  • 感情を受け入れてほしかった
  • 「見てるよ」って言ってほしかった
  • 「頑張ってるね」って、褒めてほしかった
  • 「お母さんのせいじゃない。信心が足りないからだ」と言われるたび、自分が壊れていく気がした

この頃に私が抱いた思い込み

  • ちゃんとしていないと、私は愛されない
  • 私の価値は、人に迷惑をかけないこと
  • 素の自分では受け入れてもらえない
  • 自分を表現すると、否定される
  • 家が貧しい、自分の人生は恵まれていない
  • 私の感情は、我慢するもの

それが今の私にどうつながっている?

  • 他人の評価を気にして、「どう見られるか」で自分の行動を決めてしまう
  • 自分の価値を、成果や役割で測ってしまう
  • “できない自分”や“無防備な自分”を出すことに強い恐怖がある
  • 素直な感情を表現するのに、どこかブレーキがかかる
  • どこか常に「自分は足りない」と感じてしまう
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