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理解されない孤独と孤立

あすか

ライターのあすかです。 日々感じる生きづらさを、生きやすさに変えていけたらと思い、執筆しています。

こんにちは。ライターのあすかです。

今日は『孤独感』についてまとめていこうと思います。

なぜこのテーマを選んだのか?それは、ぼんやりとしていて、でも確かにそこに存在する。理解されれば少しは楽になるのに、言葉にするのが難しい。
今回はそんな自分でも掴めない、『孤独感』の正体をちょっとでも分かりたかったから、孤独について考えることにしました。

理解されにくいからこそ、孤独たらしめている。
孤独が孤独である所以も理解できるかもしれませんね。

その孤独の正体を知ることで、孤独が孤独を呼ぶ悪循環を断つヒントになれば、そして、孤独が和らいで少しでも生きやすくなれればと思います。

「これは、私が長い間感じていた孤独と向き合って見つけた、あるひとつの答えです。」

【1】孤独感の芽

はじめに、私は孤独感をはじめから認知はできていませんでした。

抱えているこのモヤモヤの正体が孤独感だと認識できるようになったのは割と最近です。

それまでは、抱えているそれが孤独感だとは思わず、心が環境と体に適応できていない、“小さな同期のズレ”のようなものでした。

そんな小さな同期のズレを見逃して放置していった結果、孤独感に苛まれてようやく気づいた時には、それはもう“大きな同期のズレ”になっていてやっと孤独に気づけました。

そんな放置して育ち切った孤独感に、

「このままではまずい」

と流石に本能的に思い、話せる人に自分の感じている孤独感を伝えようと頑張って見るのだが、

これがまあ、伝わらなかった。

自分でもよくわかっていない孤独感を、人に伝えるのはより難しかった。

伝わらないこと、分かってもらえないことでより孤独を感じた。

(今思うと、孤独感をわかってもらえたところで、改善のために具体的にアクションするのであれば、必ず自身の行動が必要になるので、直接的に孤独感を解決することを人に求めるのは難しいことだったと思う。当時は縋りたくなるほど疲弊してた笑)

そうして正体不明の伝わらない孤独感を、自分で理解しようと思い考えることにしました。

考えるうちに気づいたのは、『自分の抱えている孤独感』と『人が想像する孤独感』

は全く深さが違うということでした。

『自分の抱えている孤独感』が『人が想像する孤独感』よりも深く、

自分の孤独感を人が想像することが難しく、

分かってもらえないことから、心が孤独にもなった。

なぜ、自分の孤独感が理解されないのか?

それは感じる孤独があまりに深かったため、

普通の人はそこまで強く孤独を感じないところまで、自分は孤独を感じられてしまうがゆえに、

その深い孤独を経験したことがない人や、繊細さを持ち合わせていなければ、

それは、当然難しい。ということを知りました。

今になったら頭では理解できますが、

何かの事象に対して、同じ感情を持つ人もいれば、違う感情を持つ人もいますし、同じ感情を持っても、感情の濃さが違うので、同じレベルで感情のメモリを合わせるのは難しいので、感情の理解ってもっと難しいですね苦笑

(それでも正直理解されたいと思いますが。。。)

例えば、今私が抱えている孤独感を言葉にすると

「誰ともつながっていない」んじゃなくて、

「つながる資格すらない」ように感じることがある。

そんな孤独が、ずっと私の中にあった気がする。

という感じなんですよね。

わかりやすい孤独に、

物理的に離れて孤独を感じる。

表面的なつながりはあるけど、心のつながりが感じられない。

がわかりやすいと思う。

でも、自分が抱えていた孤独感は、

たんに「ひとりでいる」という種類の孤独ではなかった。

もっと根源的な、“生きていることそのものが意味を持たない気がしてしまう”ような孤独。

自分の存在を、自分でも、人からも肯定できなくなる。

それは、まるでこの世界から切り離されてしまったような感覚で、

「誰ともつながっていない」というより、

「つながる資格すらないと思わされてしまう」ような苦しさでした。

この孤独感は、ほんとうに心をすり減らします。

なんか、世界から否定されているような、世界から認められないし受け入れられないような、全世界が自分の敵になって牙を向けられているような、

とにかく、どこにも安心感というものは存在しませんでした。

物理的孤独

心の孤独

精神的孤独

孤独の深さは大きく3つに分けられそう

2】孤独の正体:自分の中でどう孤独が生まれ、育っていったか

“小さな同期のズレ”がどうやって大きな孤独になったのか。

私はよく「否定されてる」と感じることがある。

相手のちょっとした反応、自分の失敗、うまく話せなかった瞬間。

そんな時に、心の中で誰かの声が聞こえる。

「ほら、またダメだった」「だからあなたは愛されない」

そういう声が自分の中に響くたびに、私の世界はまた少しだけ閉じていく。

そしてその積み重ねが、「自分はつながる資格すらない」って思わせてきた。

そう、孤独が孤立を呼び、さらなる孤独になっていきました。

※孤独と孤立の違いについて

孤独には、内面世界を充実させる有意義なものというプラスの意味合いもあると思う。というか、本来は孤独はいいものだと思うが、この記事ではわかりやすく、孤独を対象との隔たりとする。

孤独は一人でも人といても感じるものだが、孤立は集団やコミュニティにおいて心理的隔たりを感じるものとする。

項目孤立孤独
意味客観的に人間関係がぜつだんされている主観的に寂しさや距離感を感じる
対象実際の社会的つながり心の中の感じ方・感情
「電話も来ない」「誰も連絡しない」「皆んなの中にいても理解されてない」
孤独と孤立の違いを整理

【3】絶望感と鬱:解決の見えない苦しさ

感じている孤独を理解されない時、より孤独は自分を孤独にしていきました。

しんどいことが起きても、そこから抜け出す方法が見えない。

「このまま、この状態がずっと続くのかもしれない」

そう思ったとき、心に広がるのは絶望という言葉のない重さ。

私はそれを、“深い霧の中にいるような孤独”と感じていた。

絶対的な孤独を感じていた。

(今は理解しようとしてくれている人に、存在だけでも心が軽く感じる時があります。)

それでも、

孤独感からくる絶望に苛まれている時は、その存在ですら“理解されない別の何か”に映って、より自分が世界から見て異物のように思える。

理解されない自分は間違っている、という自責に駆られる。

世界から受け入れられないことに、これ以上傷つかないように、自分が悪いという形で結論づけることで、人や社会含めた世界を否定せずに、自分の感情を殺して問題と関わりから離れてしまうのだと思う。

そうして、悲しいことに誰にも知られず自分の感情を殺して傷ついた皺寄せは、のちに自分に牙を向けてくるのだが。

(自分に嘘をつくのは本当に良くない)

安心を欲すると不安になり、つながりを大切にしたいと思うと孤独を感じる。

欲しいもののために何度も傷つくと、諦めた方が楽なんじゃないかとさえ思えてくる。

こうした悩みを理解してくれる人は少ない。

人に相談すると、時間が解決してくれる。や頑張ってと言われるけれども、

それらの言葉は何も解決にはならない。

だって、いつだって今の悩みが一番で、一番苦しいのだから。

先行きの見えない不安が自分の中で絶望へと変わり、よりうつ病を悪化させました。

4】気づいたこと:「孤独の形」を見つけたこと

でも最近、少しずつ自分の感じているこの孤独の正体が見えてきた気がする。

私の孤独の正体は、安心を求める心の声だった。

私が欲しかったのは「安心」。

ずっと、絶対的な安心を求めていた。

けれど人との関係の中でその安心は揺らぎ続け、

安心どころか、「不安定な自分をさらすことすら怖い」と思ってしまう。

だから私は、つながることすら諦めそうになっていた。

孤独は自分とのつながりで、世界との繋がりでもあった

他にも気づいたことがある。

希望って明るく前を向くことじゃなくて、

なのかもしれない。

もしかすると、「まだ生きようとしていること」も希望なのかもしれない。

5】最後に:「それでも、言葉にしてみた」という意味

こうして今、この孤独に言葉を与えたことで、

少しだけ、自分がこの世界に存在していていいのかもしれないと思えました。

つながる資格がなかったんじゃない。

ただ、つながることを何度もあきらめさせられてきただけだったんだ。

だから私は、もう一度つながろうとしている。

まずは、自分と。

そして、この文章を読んでくれたあなたとも、どこかで。

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