こんにちは。ライターのあすかです。
今日は自分がうつ病を発症した経緯の一つとして、『自分が自分に優しくできなかったこと』についてまとめていこうと思います。
これを書くことは、私にとって自分が自分に優しくする理由を煮詰めることで、自分の人生を愛する決断になる価値があると考えています。
そして、これを見ている人や何らかの生きづらさを抱える人が、少しでも心が温かくなればと思います。

はじめに:悲しみを自分で抱えたあの日
私は、悲しみを外にぶつけるのではなく、自分の中でずっと抱えていました。誰かに泣きつくことも、感情をぶつけることも怖くてできなくて。ただひたすら、黙って、堪えて、やり過ごすしかなかった。
でも、ある日気づいたんです。私が感じていた“悲しみ”は、ただの一時的な感情ではなく、「自尊心が傷ついた結果」だったんだと。そして、その自尊心を育てる努力を、自分自身がしてこなかったことに、初めて目を向けることができたのです。
自分を否定し続けた日々
「こんなことで泣くなんてダメ」
「弱音を吐くなんて甘え」
「自分なんかがこんな感情を持ってはいけない」
そんなふうに、私は自分に対してずっと厳しかった。自分を叱り続け、自分を否定し、自分の気持ちに「存在する資格」すら与えていなかった。
そして気づけば、悲しみを外に出すこともできず、それを拾ってくれる人もおらず、私は自分の悲しみの海にダイブして、そのまま溺れていったんです。
感情を感じることすら、誰かの許可が必要だった
私は、感情を素直に感じることにさえ「人の許可」がいるように感じていました。
「怒ったら嫌われるかも」
「悲しんだら迷惑かも」
「こんなこと思っている私なんて、誰もわかってくれないかも」
そう思って、自分の感情を感じることすら難しくなっていた。
だから、感情を抱えたまま処理できず、それがどんどん蓄積して、キャパを超えて、壊れてしまったんだと思います。
壊れて初めて気づいたこと
壊れて、何も感じられなくなって。
未来も、今も、心が反応しなくなって。
それでも、ふと過去の悲しみだけが何度も浮かんできて、繰り返し繰り返し、自分を責めていました。
でもある日、少しだけ気づいたんです。
「悲しいって、過去に希望していた何かが覆されたときに生まれる感情なんだ」と。
そして、そんなふうに悲しみを少し受け入れた瞬間、自分の中の小さな自尊心がかすかに動いた気がしました。
自分に優しくするという“正しい努力”を知らなかった
私は、人には優しくできたけれど、自分にはその方法を知らなかった。
自分を嫌っていたから、人からもらう優しい言葉すら、信じられなかった。
「そんなふうに思われる価値なんて、私にはない」って。
でも、ようやく思えるようになったんです。
自分の感情に寄り添うことは、甘えじゃない。自分を大切にすることは、わがままじゃない。
そしてなにより、自分に優しくすることは、
世界とのつながりを保つこと。
未来を創る力になること。
さいごに:
もし、今のあなたが「誰の味方もいない」と感じていたら。
どうか、この言葉だけは信じてください。
あなたがあなたの味方になれる。
あなたの感情には、ちゃんと意味がある。
あなたには、自分を大切にする権利がある。
私は今、少しずつだけど自分を好きになれるように努力しています。
過去の私に言ってあげたい。「もう頑張らなくていいよ」「ちゃんとつらかったね」って。
あなたも、あなた自身にそう言ってあげられますように。
心を込めて。
